
ABOUT
【監督からのメッセージ】
『ぼぼんぐわァ』は私が実感してきた性にまつわる抑圧や疑問、そして憎しみを掘り起こし、肉を削ぐような思いで作っている映画です。男性中心社会における規範によって苦しめられてきた全ての人に捧げるつもりです。
“女性”だけのためではありません。この社会には、「男性用」「女性用」としてつくられた規範があります。「毎日笑顔で夫を労う妻」「立身出世して家族を支える立派な父親」「お茶を汲むOL」「飲み会で皿に料理を取り分ける女子大生」「泣かない強い男の子」「股を閉じて座る女の子」...etc.それは一部のマジョリティにとって都合のいいものです。しかし、そこに当てはまらない人は何らかの「生きづらさ」を感じているのではないでしょうか。

職場で、学校で、家庭で、私たちは「こうあるべき」という要求に答えようと、自分の向き不向きを無視して、とにかく頑張ります。そのうち本来の自分の感覚がわからなくなり、無理をしていることにすら気づかなくなります。私はそんなとき、「地面から1センチ浮いている」ような感覚に陥ります。気づいたときには、10センチくらいこの世とずれてしまったこともあります。
その状態を世間では「狂気の沙汰」と呼ぶようです。しかし、狂気は日常と地続きです。何も特別なことではありません。その苦しみは、なかなか外に漏れることはありません。なぜなら、苦しみを可視化して一人で立ち向かっていては、日常生活なんてまともに送ることができないからです。誰かに迷惑をかけることになります。だから多くの人が心の奥に「狂気」と「呪い」をひっそり飼いながら、だましだまし、懸命に生き延びているのではないでしょうか。
この映画制作は「呪いを祓う儀式」のようなものだと、私は考えています。
(監督/脚本 成瀬 都香 Miyaka Naruse)

【企画意図】
既存の男性中心主義的な映画では描かれなかった視点から、「暴力」と「破壊」を描きます。
メインテーマは「ジェンダーロール(社会的性別役割)に基づく破壊と支配欲」です。
ジェンダー(社会的性差)の観点から見て、“男性”の支配欲は「場を統べ、流れをリードする」「思い通りに構成員を動かす」「構成員を成長させる」というような「公」の領域で表れるとされます。
もちろん“女性”も支配欲を持ちます。ですが“女性”の支配欲は「性的に男を魅了する」「胃袋をつかむ」「身体・健康の状態を把握し、維持する」というような「私」の領域で表れるとされています。
しかし、そもそも男性中心社会において“女性”を「私的領域」に押し込めているのは“男性”です。男性支配―女性従属という非対称な関係があり、“女性”はその関係のなかで支配欲を表わすに過ぎないのではないでしょうか。
この状況では“女性”に主体性があるとは言いがたいです。
本作では、「“女性”的支配欲のために男性を破壊する女性」を描きます。
重要なのは「“男性”的支配欲のために抑圧を受け、主体性を奪われた女性が、復讐として“女性”的支配欲を男性に向ける」という点です。
また、その支配欲は、「心の性」があやふやな弟に向かいます。本来あいまいなであるはずの性を、「性別二元論」で押し込めるという暴力です。
このような暴力をなぜ人はふるってしまうのでしょうか。以上のことを投げかけるのが、本作の目的です。